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朝日新聞のメモのダブルスタンダード

ちょっと前の話になるけれども、田中康夫氏の発言について朝日新聞の記者が捏造記事を書いた。
まず、田中康夫が記事のようなことを記者に話していないと指摘。
記事を書いた記者が捏造取材メモによって記事を書いたことをあっさり認めたので、朝日新聞は謝罪した。

では、ここで思い出したことがある。
例のNHKに安倍・中川両氏が圧力をかけて番組を改編させたというニュースだ。
週刊誌にその取材メモが流出したというオプションまで最近ついてきた。
取材テープは存在しないとの話なのだが、週刊誌に流出したメモの量はNHKの松尾氏の部分だけで原稿用紙20枚以上になると言う。
なおかつ、その取材メモによると、松尾氏は途中でメモをやめるように指摘していて、記者も応じているのだ。
その後の会話が原稿用紙13枚以上に及ぶ。
断言してもいいけれど、原稿用紙13枚以上の自然な会話を暗記できる人間はいない。
当然、録音テープは存在する。それも取材相手に無断でだ。
しかし、朝日は取材メモだと言い張る。

では、今回の事件で取材メモには信憑性がまるでないことが解った。
つまり、朝日新聞が論理的におかしいのは、NHK問題の取材メモは正しくて、田中康夫氏の取材メモは捏造だという。
その正しいとされるNHKの取材メモはなんと記者の暗記に頼っている。
その違いは客観的にはどこにもなくて、主観的に「取材方法が正しい」という主張のみだ。
あくまで主観的な違いしか知らせれていない。

これが裁判になればどうなるかと言えば、まず、朝日は録音テープを出すしかなくなる。
記憶を頼りにしたメモでは証拠能力に欠けるのだ。
なぜなら、お互いにいった言わないの水掛け論になってしまうと、裁判になってもぐだぐだの内容で終わる。
では、客観的な証拠を朝日新聞はだして、安倍、中川、松尾氏が嘘を付いていることを認めさせるしかないのだが、今のところ、そのような記事はない。
つまり嘘を付いているという証拠がないため、朝日の負けで終わる。
では録音テープが出たとしましょう。
言葉には言葉の裏の真意がある。
適当に流したことで後で責められても、あのときはそういっとかないと話が進まなかったじゃないかという論法が裁判では成り立つ。
もちろん、会話が大勢の前でなされて何らかの利害が発生するような場合や、客観的に真意が裏付けられるなら成り立たないが。
今回の場合、取材方法もひどいので、真意は違っていたという点は認められるだろう。
特に松尾氏は、国会の場で政治的な圧力はなかったと問題になった年に証言している。なおかつ、安倍中川氏の名前は出てこなかった。
なので、朝日新聞記者の決めつけであると断定されてもおかしくはない。

結局、どのような捏造を書こうとも「関係者の証言によると」と書いて、会社ぐるみで捏造を庇ってくれたら捏造しまくっても構わないって事なんでしょうね

  by kimikaki2002 | 2005-09-04 22:12 | マスコミ

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