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人権擁護法案の問題点

ブログにおいて、我孫子市の白樺教育館の武田氏はこう主張している。
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①まず、この法案が対象とする「人権侵害」とは、主に市民=一般の人どうしの間での差別=人権侵害についてであり、国家権力―行政などによる人権侵害からの救済を主たる目的にしたものではないということ。

①について言えば、最大の人権侵害の問題は、国連からも改善勧告が出されているように、法務省の管轄である入管の収容場や刑務所・拘置所の問題であり、東京都教育委員会による個人の思想・信条の自由への抑圧、国際人権機関により批判されている警察の不当逮捕や長期拘留、その他種種の行政機関等によるもの、犯罪等の被害者に対するプライバシー無視のマスコミ報道、度を越したサービス残業に象徴される民間会社の不当な労働強要などです。

こうした公権力やマスコミや会社等から個人の人権を救済する制度をつくることが喫緊の課題であることは、常識ある市民にとっては自明のことです。

ところが、今回の「人権擁護法」とその下に新たに作られる「人権委員会」は権力による侵害をあとまわしにして、個人間の問題を対象にするというトンチなものでしかありません。

深刻な家庭内暴力(幼児虐待等)に対処するため・・・とも言われますが、それならば、そのための限定法で対処するのが当然で、ブログの文書等も含むあらゆる市民生活を包括する法(人権擁護法)と制度(人権委員会)を新設するのは、①法務省がその権限を他府省に渡したくないという省益と、②市民の思想と生活を一定の枠内に閉じ込めたいとする思惑以外には動機がないと、私には思えます。

体制にとって都合の悪い人を、「差別発言をしている」と、複数の人が示し合わせて「人権委員会」に訴え出れば、どういうことになるのか? 個人の自由とパワー、熱気と元気と挑戦の気概が削がれることは、誰の眼にも明らかです。自由で大胆な意見が縦横に飛び交う社会でなければ、人々は生気を失い、生きる意欲が減衰してしまいます。これは人間の生の原理です。

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最大の人権問題という点を見てみよう。
公権力による人権侵害が最大の問題だと言っている。
刑務所の問題や留置所など国連から勧告がでていると言うが、国連の勧告を守っている国はほとんどない。
なぜなら、刑罰は国によって違うのだ。
刑務所は人権を徹底的に制限することで罰とする。
法律論としての観点がすっぽり抜け落ちている。
また、マスコミを公権力と混同している点もおかしい。
マスコミは公権力ではない。
東京都教育委員会の問題にしても、労働契約上、教師は労働者なのだから契約に従わなければいけないのだ。
契約とはすべからく人権の制限を受ける。
労働基準法が制限の最低基準を提示しており、それを越えない限りは人権侵害といえない。
憲法論として切り始めているところに、無理があるのだ。

また、体制に都合のいい人間が人権委員になるという非現実的な想定にも疑問を感じる。
人権委員とは人権擁護団体で活動している人間から選ばれ、無償なのだ。
そんな活動ができるのはプロ市民しかない。
体制に都合の人間が選ばれるのではなく、運動を本業にしているようないわば反体制の人間が採用されやすい構造になっているのだ。

想定に無理がありすぎるので、反論としておかしな流れになっている。

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②次に、人権委員会の立入検査権については、法的に問題はないこと。なぜなら、立入検査は犯罪捜査を目的とするものではなく、また「政府」からの独立性をもつ独立行政委員会(公正取引委員会や人事院など)がすでに存在し、それらの合憲性は承認されているから。

② これは、とんでもない誤魔化しの論理です。立入検査が犯罪捜査を目的としないと法律に書いても、実際にはそれと同じ機能を果たすことが大いにあり得るからです。また、公正取引委員会の「立入調査」は、会社等の団体へのものであり、一般市民の家庭への立入調査ではありません。人事院の権限も、政府に対するもので、市民とは何の関係もありません。個人の家への立入調査が、裁判所の出す捜査令状なしで行えるという「人権委員会」の新設は、当然憲法第35条に抵触すると考えなければなりません。法案作成者の方、第13条、31、33条と共にもう一度お読み下さい。
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これについては同意。
公正取引委員会などはきちんとした選定基準があり、法的な手順がしっかりある。
しかい、人権委員には人権という規定自体が曖昧でどのようにも解釈できるため、同じように扱えない。

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③何が差別かの具体性をもった規定は、法文には一律に書くことはできない。なぜなら、差別は年齢性別などはっきりと分かるもの以外は、心の問題であり、その時々の社会常識により判断基準が変わるから。

③ 政治制度としての差別問題解消の領域を超えて、心の領域・言語表現における差別の問題を法律で規定し、それを監視することは「市民社会の原理」とは相容れません。
法律(ルール)の本質が合理性にあることは論を待たないでしょう。法律が人間の内面・心・モラルまで規制するとしたら、合理性という法律の本質に反してしまいます。
道徳を権力で強制したらどういう事態になるのか?民主制社会は終焉を迎えてしまうのです。

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この中で完全に自己矛盾を起こしているのですね。
マスコミによる言語表現を規制すべきだと前段で述べています。
極論を言えば、人を殺してはいけないのは、合理的な説明はできない。
いわば道徳の問題でしかなくなってしまう。
しかし、法的には制限しなければ社会秩序があやうくなる。
社会で生活し構成する者は社会のルール、法律を守ることを前提に権利を与えられている。
③に関して反論するなら、差別を規定せずに差別を処罰する機構だけを作るという矛盾を指摘するべきだ。
相撲という競技のルールを決めずに土俵を作ってもとんちんかんなことしかできない。

アフリカの部族に野球のルールを教えずに道具だけ渡しても、全く野球にはならない。
同じ事なのだと思うが。

  by kimikaki2002 | 2005-03-17 11:48 | 政治

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